難工事の数々と出張所(局外ATM)
町域全てが都市計画区域である。うち市街化区域は719haで、行政区域全体の23.1%。残り76.9%を市街化調整区域が占めている。詳細は以下のとおり。東浦町内には縄文時代早期の貝塚遺跡・入海貝塚があり、約7000年前から人が暮らしていたと考えられる。 戦国時代には徳川家康の母方の家系に当たる水野氏の居城があった。 江戸時代には、町域全てが尾張藩の領地であった。1970年代以降は住宅団地の開発が進み、人口が増加した。
現在の市域で、初めて人の行動が確認できるのは晩期旧石器時代で、市内15か所の遺跡から30点の有舌尖頭器が出土しているが、定住地というよりは狩猟の場となっていたと考えられている。晩期縄文時代の遺跡では、堀内貝塚や東端貝塚が確認されている。弥生時代中期中葉頃から、豊田市の川原遺跡や西尾市の岡島遺跡など、矢作川流域に大規模な集落が見られるようになる。市内で集中的に遺跡が確認されているのは市域東部の沖積平野で、全長2.5km、幅0.75kmの鹿乗川流域遺跡群と呼ばれる弥生時代後期から古墳時代前期にかけての遺跡群がある。また古墳時代には、市南東部に二子古墳や姫小川古墳などの大規模な古墳も建造され、それらを含めた19基の古墳が2.4kmの範囲に集中する桜井古墳群がある。律令制が敷かれると、市域は三河国の碧海郡となった。『和名類聚抄』には、碧海郡内には15、16の郷があったと記述されているが、そのうち桜井郷、小河郷、大岡郷が、現在も地名として残っているため市内と比定されている。このほか、和志取郷なども市内と推定されている。また、別郷廃寺・寺領廃寺といった古代寺院の跡地も確認できる。
集配特定局については普通局で局内作業をして、無集配となった特定局に郵便物を先送りして、その局を中継拠点にすることとしている。この方法で集配特定局を削減する。集配業務を廃止した特定局がその先、無集配特定局として存続することは保障されていないものの、郵便局の設置基準は日本郵政公社法に定めるところにより設けられており、その存続の判断は、法に定める設置基準によるところとなっていた。特定郵便局長の任用は自由任用である。25歳以上から55歳以下で公務員としての欠格事由に該当しない場合には応募することができた。だが、特定郵便局長は公募がほとんどなく、事実上特定の関係者しか知り得なかったこと、自営業としての性格も持っていたことから、事実上の公務員職の世襲という指摘がなされてきた。特定郵便局の局舎は、それぞれの局により異なるが、国営局舎、自営局舎とあり、その他に郵政福祉などの外郭団体が有している場合もある。
郵便局巡りという趣味があるが、その一ジャンルとして普通局を巡る趣味がある。郵便局は全国およそ25、000局所もあり一生の間に全部廻りきるのは不可能に近いが、1千余局の普通局なら完全制覇も可能という考えによる。しかしながら、東京より船で26時間かかる小笠原諸島にある小笠原局や、警備上の理由により一般人の利用が甚だ困難である皇居内の宮内庁内局へも訪問する必要があり、普通局イコール都市部と思って安易にかかると意外にハードルが高い。なお宮内庁への一般人の入構は認められていないが、平成11年頃までは坂下門の警備詰所で申し出て局に連絡をとってもらい、局員に手空きがあれば迎えにきてもらい同行してもらうことで訪問できた参考1参考2参考3。しかし現在は、前述のとおり警備上の理由等でこの方法は一切認められていない。また、船内郵便局や南極の昭和基地内郵便局も、特定郵便局長が配属されていないため普通郵便局である。昭和基地内局長は観測隊員が兼務辞令を受けて局長の事務を取り扱う。参考